まごころを、君に

アルジャーノンに花束を を読みました。
最後の数ページはボロボロ涙が止まらなくなってしょうがなかった。
おそらく人生で一番小説で泣いたんじゃなかろうかってくらい泣きました。

筋としては、

知的障害者のチャーリーが手術を受けて急速に天才になったけど、
それによって他人の汚いところに気づいてしまったり、自身も傲慢になってしまったりする。
その後手術に欠陥があることがわかりチャーリーは再び退行してしまう。
しかしその過程でチャーリーは失った優しさを取り戻していく。

こんな感じ。

知能を失っていくチャーリー、でもその過程で優しさを取り戻していく。
この終盤のところは本当に悲しくて、でもそれだけじゃない感動がある。
タイトルにもなってる一番最後のところは本当に・・・。
でもボロ泣きスイッチが入ったところは、そのほんのちょっと前のところでした。

手術を受ける前のチャーリーが働いていたパン屋の同僚は酷いやつらで、
チャーリーをいじめてたりしてり、頭が良くなったら追い出そうとするんですが、
知能を失っていった彼は再びここで働くことにするんです。わずかですが。
親に捨てられたチャーリーのふるさとはやっぱりここしかないってことでしょうか。
そこでチャーリーが出て行った後に入った新入りが彼をいじめるんですが、その時
昔の仲間たちがチャーリーを助けてくれるんですよね。そしてチャーリーのことを友達と言ってくれる。
このシーンで涙腺爆発。
この人たちはジャイアンみたいなもんなのかなって思いました。
普段いじめてても、こういう場面では助けてくれるような。
とても自己中心的だし、誠実とは言えないんだけども、この瞬間は少なくともチャーリーのためだけに行動してくれた。

思い返してみたら、ここのシーン以外チャーリーのためだけを思ってくれた人はいないんですよね。

ニーマー教授は、ずっとチャーリーを自分の研究成果としてしか扱ってなかったし、
ストラウス博士は、チャーリーによくしてくれてるんですが、それはチャーリーを実験動物(モルモットという言葉は使いたくない)
のように扱ってることに対しての罪滅ぼしって感じだし。
アリスが持っていたのは、チャーリーを知能を得る前の優しい心を持ちつつ、知能を持った人間って言う存在であって欲しいという
独善的な恋愛感情でしかなかった(と言い切るのも語弊があるけども)し、
フェイは欲望のままにチャーリーを求めてるに過ぎなかったし。
親父はもちろん愛情はあったんだろうけど、親としての責任を果たそうという道徳上の観念があったし、
母親は論外だし。
妹はまだましだけど・・・

もちろん個人個人にはそれなりに納得できる理由があって、全員酷いやつだとは思わないですけど。
むしろパン屋の同僚の方が酷いやつらなんですけど。
でも自分のエゴが入らない、「まごころ」が篭っているのって、チャーリー自身を抜くとここだけなんですよね。
このシーンまでは本当にチャーリーはひとりぼっちだったのかなあと思ってたからこそ、ここにはやられました。
そんでもってこのシーンから、最後の別れを告げるシーンに続きます。
チャーリーが受け取った唯一の「まごころ」から、チャーリーがくれるみんなへの「まごころ」へ。
・・・そりゃ涙腺大決壊だわ。

これ原作の映画の邦題つけた人は天才的なネーミングセンスだな、とかボロボロ泣きながら思いましたとさ。
・・・エヴァがタイトルを借りてるのがちょっと許せなくなった。これの映画は見てないんですけどね。