埋める楽しさ

書けと言われたような気がしたので。最近どっかで。
さあ、何について書こうか。
うーん。
最近格ゲーをよくやってるわけです。
格ゲーは結局の所じゃんけんだっていう話をいつか耳にしたことがあります。その時はぼんやりそんなもんなのかなーと思いました。格ゲーをまったく触れてなかったんで、全く択の概念を実感できなったんですね。じゃあ格ゲーなんてしないで、じゃんけんしてればいいじゃん、なんてことも思ったりしました。
じゃんけんになるってのは、中段か下段か投げのどれが来るのか、それを読んでの駆け引きのことですね。攻められている側はそれを拒否して、逆の択をしかけることもできる。それを読んで攻撃側も守備的な選択肢を取る必要もある。
こう書くと高度なじゃんけんに見えるんだ。確かに間違ってない。でもやり始めて実感したのは、その大事なのはじゃんけんだってことではなく、高度なって部分なんですよね。
確かに最終的に残るものはじゃんけんなのかもしれない。でも、そのじゃんけんにまで純化する、というところが肝なんです。ものすごく上手くなって、技術的な部分を埋め尽くした果てに、最後にじゃんけんが残る。だからこそ、それは格別なじゃんけんになる。
ゲームの本質的な楽しさってのは、その埋める部分というか、埋めたからこそ生まれる原始的なモノなんだよなーと思います。埋めきったからこそ、最後に残る部分、運だったりじゃんけんだったりを楽しめるんだよね。それは埋めきった人達しか得られない喜びなんだ。
だから人はゲームなんて非生産なモノに熱中してしまうのかなあなんて、そう思うわけです。
俺もうまくなりてー。